このスレッドはロックされています。記事の閲覧のみとなります。
トップページ > 記事閲覧
思い出の演技・印象に残っている技
日時:2006/02/05 20:09
名前:ken
上記タイトルでさっそく…

1983年ブタペスト世界選手権(以下WGC)、ビロゼルチェフ16才で世界デビュー!床の開脚旋回の大きさには驚きました。平行棒も独創的な演技で、棒端での開脚旋回という当時誰もやってない技から入り、ヒーリー連続から即、前宙など…
85年国際Jrでボギンスカヤと共にデビューしたリューキンがビロゼルチェフの平行棒の演技構成をさっそく、取り入れてました。

1983年中日カップ中国女子選手「呉・カニ」
中国読みは「ウ・チャーニー」だったかな。段違いで高バーから低バーに移る際、「肩関節はどうなってるの?」みたいな技、やってました。

87年ロッテルダムの種目別平均台でソ連のバイトワ選手が入り技で、男子あん馬の両足旋回2回から開脚旋回1回を平均台でやってのけた!こんなの、後にも先にもこの時のみ。
「バイトワ」という名前がついて、難度表にものってます。Cだったかな?

コリバノフ。選手として活躍した時期は短かったですが、あん馬で彼の名前がついた技がありました。トーマス旋回を終わると見せかけて、大の字倒立であん馬上を移動し再びトーマス旋回にもっていくというもの。

中国の李寧のつり輪での「李寧」という技。
脚前挙から肘を伸ばしたまま、後ろにぐりんぐりん回り、「肩関節どないなっとん?」と思いました、好きです、この技。

今日はこの辺で、
選手の名前を見て懐かしいと思った人、感想くださいね。

Page: 1 | 2 | 3 | 4 |

コマネチ ( No.27 )
日時:2006/02/24 23:16
名前:たかこ@管理人
確かにコマネチっていうと、モントリオールの映像ばかりですね。
体操に興味のない人でも知っている名前ですから、
当時の衝撃度の高さがうかがえますが・・・
現在44歳だそうですが、今年ご出産されるとか。驚き!
コマネチ出産?! ( No.28 )
日時:2006/02/26 03:25
名前:ジョージア
彼女出産ですか?!知らなかった。

ここへ書き込んだりしてると、いろいろおしえていただけるので嬉しいです。
年齢から少し心配ですが・・・良かった。
ナディア、ご懐妊おめでとう。

>体操に興味のない人でも知っている名前ですから、
本当にそうでしたね。あちこちに、普段全く体操を観ないけどコマネチ・ファンのひとがいました。たけし(敬称略!)の「コマネチ!」のネタが長く続いたこと自体が、彼女の名前が一般大衆へ浸透していたことの裏返しですね。
モントリオールの後1年くらいは、一般の芸能雑誌にも、日本のアイドルと並んでグラビアへ写真が出ていたくらいでしたね。

また彼女のような体操を盛り上げるスーパースターが出てきて欲しいです。
補足! ( No.29 )
日時:2006/02/26 23:49
名前:たかこ@管理人
http://www.intlgymnast.com/news.html#comaneci-conner
上はIGの記事ですが、予定は7月で、男の子と発表されたそうです。
でも結婚したの1996年なんですね。もっと前だと勘違いしてました。
ここ10年で一番のスターは、やっぱりホルキナだろうと思いますが、体操ファン以外への知名度では、コマネチの後にいないんですよね。日本では小菅選手かな(当時体操に興味なかった私も、名前を知ってました)。

スレッドの趣旨から外れちゃうかもしれませんが(^^ゞ
私が体操を観始めた頃アイドルといえばモセアヌでした。
個人でそんなに高い成績をとったことは無かったと思いますが・・・
平均台で、ドブレと呼ぶんでしょうか、背倒立する技をやっていたのが印象的でした。
モセアヌ ( No.30 )
日時:2006/02/27 20:03
名前:ジョージア
IGのナディアの写真、背中が眩しいですね・・・!。私の少年時代から、彼女は常に素敵なお姉さんでしたから。

モセアヌはアメリカのメディアが先行して、アイドルとしての要素を色濃くして売り出していた印象があります。ただ、私も鯖江大会で彼女を観て、技術的になかなかいいものを持っているので、成長し大人の雰囲気を身につければ、シドニー辺りではスターになるかもしれないなと思いました。怪我でアトランタの後、出てきませんでしたが。

モセアヌもコマネチを育てたカロリー氏の秘蔵っ子でしたよね。
(ブリトニー・スピアーズも体操をしていた時期、カロリー氏の指導を受けたことがあるそうですね。・・・ちょっと余計でした。)
ケダモリサルト3 ( No.31 )
日時:2006/03/01 17:02
名前:中年
じむきちさん

ケダモリサルトはじむきちさんの記憶のとおり
1回目に「完全に屈身で回る」というよりも1回目に「屈伸する」
とう表現が正しいですね。
よってジョージアさんが書いているように
「ジャックナイフのようだった」という印象が残るのだと思います。


おお、やはり! ( No.32 )
日時:2006/03/03 09:22
名前:じむきち  <gymkichi-ba@fine.ocn.ne.jp>
URL:http://www13.ocn.ne.jp/~gymkichi/
中年さん>
ありがとうございました。ケダモリサルト、やはりそうだったのですね!
私が勝手に難度をつけてよいのなら、伸身新月面と同格にしちゃいます。言ってみれば伸身サルトの途中で1回屈伸を行うわけですから。・・・今見てもすごい技だと思います。
そんなすごい技をやっていた日本選手が20年も前(ですよね?)にいたことを、若い人たちにも知ってほしくて掘り返してみました。

知って欲しいといえば、旧東ドイツの終わりごろにトゥムラーという、笑顔がとてもさわやかな女子選手がいました。ソウル五輪の床しか覚えていないのですが・・・ロシア選手たちが見せるややクラシカルで芸術的な床や、ルーマニアが見せるポップでアクロバティックな床とも違う、それでいてアップテンポの音楽をしっかり反映した振り付けは素晴らしく、(難度とは別の意味で)女子体操の「進歩」を感じた記憶があります。

男女問わずロシア(当時はソビエト)の体操は「我こそは現在の体操の完成型」といわんばかりの美しさを誇っており、それをそのまま「体操の美の基準」として胸に刻まれた方も多いと思います(私はそのひとり)。
しかし東ドイツという国は、技の内容にしても表現方法にしても、常に「未来」や「可能性」を見ていたような気がします。

「完成」と「可能性」・・・現在までの体操を振り返るうえで、ソビエトとともに東ドイツの存在は欠かせなかったなぁと再認識し、またもや掘り返してみましたf(^^;)
フェンリッヒも良かったですよ ( No.33 )
日時:2006/03/04 01:10
名前:ジョージア
80年代を彩った選手のひとりとして覚えてますよ、テュムラー選手。

 男子専門の私的には、女子は国籍を問わずエレガントさが応援の基準でした。テュムラーに似た選手で、その少し前の東独選手・フェンリッヒなんかもいいなと思いました。

 当時は一線級では、小柄な選手が全盛でした。そんな中、フェンリッヒは女性らしく丸みをおびた体線の持ち主でありながら、段違いのスゥイング技術の高さが特筆ものでした。モントリオール世界選手権の種目別決勝では彼女を応援してました。(結果は金メダル)こういう選手が活躍するとほっとするものがありましたからね。

 この頃の東ドイツの選手は、技術的に急速な伸びをみせ、女子では前述の選手に加えグナウク、クロツ、ケルステン、男子のティッペルト、クロル、ベーレ等の競技力の高さは、まさに「可能性」を多く現実へ結びつけていたと思います。

 なぜ急に日本男子は追い抜かれたのかと、しばらく腑に落ちないものがありました。しかし後に刊行された「東ドイツ体操の秘密」を読んで、この頃の東ドイツの飛躍の理由が、科学的な探求の結晶であったと納得がいきました。
 まさかA難度の「ロンダート−後転とび」に新しい技術があるなんて、想像もしていませんでしたからね・・・。
ケダモリサルト詳報 ( No.34 )
日時:2006/03/04 01:45
名前:ジョージア
>鉄棒を離す瞬間のあふりや姿勢の記憶がありません。このあたりはどうだったのでしょうか?

’81年全日本種目別選手権の慶田盛選手の映像を探し出し、先ほど確認しました。

あふりの面では、当時の日本選手と変わりなく、肩を遠く振り回して(中国選手のような腰を中心に雄大に回す技術とは違う)遠心力を増す技術を使っています。

 離手の直後から反った明確な伸身体制へ入った後、頭が真上へ行くまでに屈身姿勢を取り、2回目の宙返りへ入る瞬間に屈身を伸身へ開きながら1回ひねるという運動経過です。短い時間の中でこれだけの動作をするのですから、空中で踊っているように見えます。
 
 後にも先にも実施者は慶田盛選手ただひとり。伝説の技ですね。
 
 
 
ジョージアさん、なつかしい! ( No.35 )
日時:2006/03/04 19:06
名前:ken
ドルテ・トウムラー、ウルリケ・クロツ‥なつかしいですね。
男子のシルビオ・クロル選手は長きにわたって活躍した選手で
吊り輪や鉄棒でほとんどの選手が後方系の終末技なのに対し、
前方系でおりてましたよね。
屈伸前宙・半ひねりだったかな?
日本では先日、引退した斉藤選手が実施してましたね。
クロルといえば ( No.36 )
日時:2006/03/04 22:55
名前:ジョージア
 クロルが鉄棒で使った技は、「前方2回宙返り1回半ひねり降り」です。後方系の降り技の開発が進んでいた中で、誰も着手していない技を見事に決めていました。

 クロルといえばやはり、跳馬の「前転とび前方伸身宙返り半ひねり」が最も開発者としての功績が高いものだと思います。当時近い将来必ず出現するだろうと思われていた技でしたが、意外となかなか実施する選手がいませんでした。

 前着手から伸身で回るだけの上方への高さを産み出すのが、相当困難だったのでしょう。彼は素晴らしい高さを示し、美しい姿勢で最初から理想的な裁きで実施しました。その実力はスペシャリストの楼雲(中国)と甲乙付けがたかったですよね。

 あと、歴代の色男デルチェフ、トカチェフ、ディチャーチン等と並び、端正なマスクだったかな・・・。

Page: 1 | 2 | 3 | 4 |