加点・加点・加点…… ( No.1 ) |
- 日時:2008/08/22 04:47
- 名前:おばば
- 私は女子中心に見ているのですが。。。
A得点は2分の1にしてもいいくらいかも…という感想を持ちました。 やっぱり、ロス〜アトランタくらいの着地の1歩も許されないような緊迫感ある演技に、心揺さ振られます。 (今回、女子の上位選手は素晴らしかったですか)落下や大過失のあった選手がメダリストになり得るようなルールはなぁ、、、と思います。 男子は種目別ですら、ミスがあった選手が上位に入っていたのは少し残念でした。 細かいルールは分かりませんが、加点に追われる演技構成をせざるを得ないと、選手の個性も消されてしまう気がします。 女子の床もアクロバットシリーズを4〜5本入れないとA得点が取れないようだし、その合間に、加点のために、ターンやジャンプを入れ込んでいる感じで、床の演技が男子っぽくなった気がしました。 加点のためか、ひねり系の組み合わせ技が増えて、雄大な伸身2回宙返りなんかがあまり見られなくなったのは淋しいですね。
やっぱり、冨田選手の演技は美しかった。 B得点が素晴らしい日本女子の活躍は嬉しかったです。日本選手の姿勢やスタイルは世界に出ても何のひけも取りませんね。
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採点熱中夜話 ( No.2 ) |
- 日時:2008/08/23 00:20
- 名前:ジョージア
- 毎回ながらオリンピック開催期間中は気分が高揚しますね。体操だけではなく。通常接しない競技の熱戦にも引き込まれてしまいます。
6-3-3制に書きたいこともありますが、採点について溜め込んでいるものがあり書かせていただきます。
「10点満点」という言葉自体の響きはすごく魅かれるものがあります。それは完全を追い求める選手や、観る者の夢そのものですね。
しかし、個人的には現在のA得点の考え方自体には賛成なんですよ。 以前の10点満点では難度の加算がすぐ上限に届いてしまい、優劣に差がつかない。当時の採点ルールの限界は何度か感じる場面はありました。 過去オリンピックの鉄棒で森末選手が大技を連ねて10点、他選手の離れ業が無い平均的演技で9.9。体操というスポーツを殺す気か!と感じたことも。
他者が出来ない技をやった者を有利に考えるのは、あるべきジャッジの姿と思います。
しかしそれは、いわゆる「美しい演技」の評価は同等が前提だという気持ちがあります。これが非常に厄介で、客観的に定量化出来ないことが多過ぎますね。 B得点は実施に対する評価だけに、単につま先まで伸びてキレイということに意味を見出す訳ではありません。縮こまった裁きでなく雄大で余裕のある裁きが評価基準に加わらなければならないと考えます。 こればかりは計測器でというわけにはいきませんが、決して軽んじてはいけないと思います。審判業務に関わる方は大変でしょうが・・・。
A得点により点数の跳ね上に比してB得点での落差がなくて良いのなら、ArtisticGymnasticsという呼称を捨てるべきですね。 理想的な裁きの演技には高難度技と位置づけを同格にする。こうでなけければ得点をA・Bの両輪にした意味がないと感じます。
理想の採点が実現出来なければ、10点満点に戻してはと感じる、ここ数年の新採点でした。
P.S.じむきちさん。 最近「無謀な挑戦」へ入り込めませんが・・・?
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減点の幅を変えては ( No.3 ) |
- 日時:2008/08/23 21:31
- 名前:じむきち
- おばばさん、ジョージアさん、返信ありがとうございます。
私も皆様と同感です。A得点の支配率の高さが、演技構成や演技実施、試合展開などによくない影響を与えているように感じます。
選手の皆さんには申し訳ないんですが、正直「おもしろくない」と感じる場面が多すぎて…
愚痴になってしまいますが…あん馬種目別のB得点はやはり納得できません。 明らかな姿勢の乱れや停滞が3回以上もある選手と、前後移動の向きのズレくらいしかチェックできない選手とのB得点の差が0.025しかないなんて(誰と誰の例か想像つきますよね)。
小欠点の0.1は現在のルールではあまりに小さく、姿勢欠点に目をつぶる風潮や、地元に甘い採点の温床になっているという見方もできるのではないでしょうか?
A得点の影響を減じるために、せめて減点を大中小で0.2・0.4・0.7程度に拡大し、落下は1.0くらいにしてもよいと思います。
…ラインオーバーは@0.1でもいいか。
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B得点の減点 ( No.4 ) |
- 日時:2008/08/23 22:32
- 名前:ひろ
- 自分もじむきちさんと同じく、B減点の幅を変えた方が良いと考えます。
ただ、現在のB採点、審判をされてる方はわかると思いますが、1つの技に対してどんなに良くても0.1は減点しよう、という流れにあります。 逆に中過失とは、採点規則では「技術的に完全な実施からの明らかな、または大きなずれ」とあり、国内ではズバズバ0.3減点するものの、国際大会ではこの定義が尊重される傾向にあるように感じます。 今回の北京五輪、残念ながら冨田選手などもやはり1技0.1ずつ減点されるような採点となり、他国(楊威選手など)の選手は0.1は引かれるけども、かろうじて0.3の減点を免れた結果、日本の選手と他国の選手にBスコアの差がほとんど出なかったのだと思います。 おそらくじむきちさんのいう小0.2中0.4大0.7にしたところで、残念ながらあまり今と変わりはないでしょう。 せめて大過失までを0.1刻みに細かく分け、更に減点する目安や逆に減点しない実施とはどんなものなのかを具体的に、厳格にしていくべきだと考えます。
ただ、そうなったら審判したがる人がいなくなる気がしますがね…
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A得点採点の改革を ( No.5 ) |
- 日時:2008/08/24 01:50
- 名前:ジョージア
- >じむきちさん
原点枠を拡大してはどうかというのは私も同感です。A得点が戦局を決定する要素として支配的に過ぎるのが、この競技の理念上問題だと思いますし、やはり観ていて面白くない、感動もしないということになりますよね。
>ひろさん >他国(楊威選手など)の選手は0.1は引かれるけども、かろうじて0.3の減点を>免れた結果、日本の選手と他国の選手にBスコアの差がほとんど出なかった>のだと思います。
このくだりをみて、今回の全般的にみたB得点の状況に対する疑問が氷解しました。 (あん馬決勝や、雛凱の種目別決勝など。雛凱の難度の高さには疑問の余地はありませんが、実施には?がついていたので) ▲0.3の判断をするかどうかという点が、恣意的な採点に繋がりやすいので、 0.1刻みの減点ルールはいいと思います。 私は現在のA得点の変動領域まで減点枠を拡大していいと考えます。 A得点の平均的な点数と、チャンピオンクラスの点数が2点くらいあると思うので、減点幅もそれくらいの幅を持たせてはどうでしょう。
これならば、富田選手や陳一氷のような美しい演技は常に9.2くらい、その他は8.5くらいというような序列が出来て今よりはまだ納得できるようになるとは思いますが。
やはりそれには、理想的な捌きとはなんなのかをある程度基準化する必要がありますね。
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日本が世界に合わせる ( No.6 ) |
- 日時:2008/08/24 15:43
- 名前:RUB
- http://beijing2008.nikkansports.com/gymnastics/column/20080813.html
加納さんがコラムでコメントされてるように、日本が世界の採点基準に合わせた方がよいと思う。 B得点は全体の印象と着地で決まるっていうことは世界大会を見ていれば分かることなので、それに合わせないと。 今のやり方で勝って、勝った国からモノ申さないと負け犬の何たらになってしまう。 中国は、ルールが変わればそのルールに合わせた勝ち方、選手選考をしてくるはず。 日本は、美しい、本来の、ということにとらわれすぎ過ぎて、勝つための作戦を取れていない。 ま、勝つことにこだわらなければそれでもよいけど、点数で序列をつけられてしまうからなぁ。
綺麗で美しい体操もよいけど、着地が止まらなければ意味はないと思う。残念ながら冨田選手は平行棒、鉄棒の着地が非常に弱い。だから見ていて弱さを感じる。 内村選手は全ての種目で最終技に余裕を持たせ着地が止まる確立の高い捌きができるので頼もしい。
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着地と脚力 ( No.7 ) |
- 日時:2008/08/24 16:00
- 名前:asou
- >RUB 様
メダルなしに終わったシドニー五輪当時、読売新聞に監物永三先生が寄稿されたコラムに「床などで見られるように脚力が弱い、体操強国ではタンブリングバーンなどで、無理なく脚力を鍛えられるのに、日本では末端の練習環境ではそういったものが普及しておらず、脚力をトレーニングするのに脚を傷めたりなど思うように強化できない」といった意味の投稿をされていました。 オーフスでも跳馬で苦戦していた時、この記事をどうしても思いおこしてしまいました。 素人考えですが、着地を決めるための脚力はジュニアの時期にある程度決まってしまい、シニアになってから鍛えようとしても思うようには強くならないということはないでしょうか? 2000年当時、すでに冨田選手は大学生になっており、対する内村選手は小学校六年生でした。あるいは、監物先生の記事を読まれた、内村選手のご両親が、 脚力を鍛えるための対応をされたのではないか?とも思えてならないのですが・・ 今、それぞれの選手を比較してどうこう言うのは、あるいは酷なのではないでしょうか?
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まるでサーカス ( No.8 ) |
- 日時:2008/08/24 18:58
- 名前:元体操経験者・H
- >加納さんがコラムでコメントされてるように、日本が世界の採点基準に合わせた方がよいと思う。
今のルールで勝つ為には私も同感せざるを得ません。以前は技が開発された後、美を、そしてまた技をと言うのが体操競技の流れでしたが、今のルールではA得点を果てしなく上げて、B得点は多少減点されても、A得点の価値で逃げ切ると言った方向性が、まさに今回の北京だったと思います。
少なくともBを完璧にしてAを抑えると言った方向性では、今後日本は世界の体操に置いてきぼりを喰らうような気がします。
具志堅先生も言われていた様に、失敗をしても個人総合で上位入賞する。今のルールは、ルールの方がおかしいでしょう。
しかし、ルールがFIGで今後改正の検討がなされないのであれば、日本も中国の様に種目別の覇者を日本代表にする様な方向性の検討も必要なのでは?と思います。男子6種目、女子4種目を均一的に強くする時代では無い様な気さえします。
団体の必要要員以外は、1種目や2種目だけで全日本、NHK杯にエントリー出来る様な姿勢で望まないと、中国に勝つ事は非常に難しいと思います。
しかし、やはり日本においては男子6種目、女子4種目をするのが体操選手、そして美こそが体操本来の姿、これが根強く残っており、この考えには異論はありません。
が、世界の方向性として今回の北京の様な方向性で今後のルールが決められるのであれば、やはり日本も諸外国の様な方向性を持たなければ、メダルには手が届かない時代でしょう。
体操はArtisticGymnasticsであってほしいですが、見る者をハッと言わせる方向性にどんどん進み、体操では無くサーカスの様な時代になって来ました。
この様なルールでは怪我人が続出し、スポーツである。とは言えない非常に危険な特殊スポーツの領域に達してしまう恐れがあります。
日本としてはFIGへの要望として、美を求める体操を協会の方々は強く求めないといけないでしょう。
体操は技だけでは無い。これは誰しもが願う本心だと思いますが、ショー的要素が加わり、素人が喜ぶのはやはり難しい誰もやった事の無い技でしょうから、基準を選手に置くのか?はたまた観客に置くのか?で体操を見る目も大きく変わってしまいます。
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ベストパフォーマンス ( No.9 ) |
- 日時:2008/08/24 21:12
- 名前:じむきち
- 数々の返信、ありがとうございます。
あん馬の例を持ち出したのがまずかったかもしれませんが、私は中国を非難するつもりも日本を批判するつもりもありません。
もう昔になってしまいましたが、ソビエト体操が世界を席巻し、日本がメダルをとれなくてもがいていた頃も、私達はおおかたの採点結果に納得し、ソビエト選手の技の凄さに驚き、その美しさに憧れ、緊迫した試合展開を手に汗握って観戦していました。
それというのも、ソビエト選手がいつも「ベストパフォーマンス」を見せてくれたからです。美しく、そして滅多に失敗しない演技はまるで「神業」のようであり、とてもケチをつける対象ではありませんでした。
ところが今回の北京オリンピックをみるとどうでしょう?決勝にとても「ベストパフォーマンス」とは呼べない演技が散乱し、サバイバルゲームのような有様になっています。
記録競技と比較するのは不適当かもしれませんが、陸上や水泳などに例えると、参加選手のかなりの部分が自己ベストをかなり下回る結果に終わっており、優勝選手すら世界新には程遠い記録で終わっているようなものです。
選手がベストパフォーマンスを出すことは、選手サイドにはもちろん、観客にとっても大切なことだと思うのですが、今のルールはそれに応えきれていないと感じます。
…皆様はどのようにお感じになったでしょうか?
また冒頭で「女子の床が男子のようになってきている」との感想をいただきましたが、この辺はどうでしょう…?
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