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「プロ体操」という可能性はアリ?ナシ?
日時:2006/06/06 23:01
名前:じむきち   <gymkichi-ba@fine.ocn.ne.jp>
URL:http://www13.ocn.ne.jp/~gymkichi/
「アスリート応援TVについて」のスレを読んで考えてしまいました。
体操「競技」は、プロスポーツにならないのでしょうか?

体操のパフォーマンスがショーとして成り立っている例は、シルク・ド・ソレイユのアレグリアなんていう素晴らしいアクロバットエンターテイメントがありますね。日本でも体操系エンターテイメントに挑戦している元体操選手が何人かいると聞きます。

でも、「体操というスポーツの競技会」が興行として成り立っているという例は聞きません。野球やサッカーなどは十分スポーツエンターテイメントとして成り立っているのに・・・。

フィギュアスケートには「プロフィギュア」という世界があります。そこではアマチュアのフィギュアとはかなり違うルールで競技が行われ、観客がそれを楽しみ、「興行」として成り立っています。ま、アメリカが主な舞台なんでしょうが・・・

体操競技は一般的に「選手生命が短い」と言われていますが、体に大きな負担を強いる格闘技の世界にも、プロはたくさんあります。体操競技に「プロ競技」がないのは、選手生命の長短だけではないような気がします。

もしも体操に「プロ競技」があったなら、選手の憧れも普及のあり様も、もしかしたらアマチュアのルールさえ変わってくると思うのですが、そのような可能性は考えられないでしょうか?

「なぜ無理なのか」
「いや、こうすれば可能だ」
「○○国ではこんな例があります」
・・・みなさんのご意見をお伺いしてみたく、スレを立ててみました(初?)。
よろしくお願いしますf(^^;)

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プロ化賛成♪ ( No.4 )
日時:2006/06/08 17:42
名前:匿名希望
 プロとは、競技(スポーツ種目)を通してお金をもらい生計を立てる人のことだと解釈していますが、プロであるからには一般の人とかけ離れたレベルの運動技術、能力が必要だと思います。一般の人がちょっと頑張って到達できるレベルではプロとは呼べないでしょう。
 また、プロとして並大抵じゃない過去、現在、将来の努力も当然のことでしょう。
 …と堅苦しい定義みたいなものはありますが、実際は運と統括団体の存在、スポンサーなどがいなければ全く成り立たない職業ではないでしょうか。
 器械体操は、堅苦しい定義から見た場合、トップレベルの選手の努力は他のプロスポーツ選手に劣りません。下手したら数倍大変です。
 また身体能力も、プロ野球選手が150Kmの剛速球を投げるのと同じように、一般の人のちょっとした努力では到底追いつけません。逆に他のプロスポーツにはない「常人離れ」(器械体操離れした時代のせいでもあるが)さが際立っていると思います。
 今日、器械体操がプロとして成り立っていない理由は、「流れ」が最大の要因ではないでしょうか。選手の技術や魅せることが主であるという競技性から考えても、プロ化できなかった要因はそこにある気がします。
 サッカーも野球も、観客が間接的ではあるものの選手の収入源になっているでしょう。サッカーや野球に観客が夢中になりお金を出しても見る価値があると判断するのは、「流れ」のせいではないでしょうか。
 流れ流れといっていますが、昔から世界トップレベルの技術を誇る器械体操にプロがなくて、欧米に追いつけと世界的に見てまだまだ未熟だったサッカーや野球にプロがあるのはどうしてでしょう。
 理由は「流れ」の中で熱くなれる時代、瞬間があったからではないでしょうか。器械体操も時代や競技の中で熱くなる場面はいくつもありました。そしてこれからも熱くなる場面はやってくるでしょう。この先にくる熱くなる場面、その時が器械体操をプロ化に持っていける時だと思います。
あん馬に音楽 ( No.5 )
日時:2006/06/08 20:32
名前:元体操経験者
>あん馬でも音楽に合わせて演技するといったエンターテインメント性はあったようです。
NASKAさん、あん馬は旋回の質に加えて、リズムが非常に重要な種目なので、この発想は凄く面白く、また実用性のあるものだと思います。
何時のガラか?忘れましたがウルジカ選手達が太鼓の音楽に合わせてあん馬をしていたのを思い出しました。あの時の解説、具志堅先生も面白い発想で練習してみる価値有りと言われていましたね!
器具をプロ用にしては? ( No.6 )
日時:2006/06/08 22:33
名前:ジョージア
 どう興行的に成立させられるかをおいて、プロ競技の形についてひとつ意見を言わせていただきます。

 私はNASKAさんが書かれているプロ体操のTV放送を観たことがあります。その時の印象は技術的には当時の現役選手より数段レベルが下で、最高の技術を観られない点には物足りなさが残りました。

 数多のスポーツの中で特に体操は、重力という自然の摂理に抗うことから最も身体を酷使するスポーツのひとつだと思います。
 そのためプロ化する場合、選手への身体の負担を軽減する形を見出すのもひとつの道ではと考えます。

 たとえば床や跳馬をより弾むものにしたり、つり輪や鉄棒の着地マットを柔らかくして着地の不安を除くなど。技術の老練さで競える環境にするのです。

 現行の器具では演技できなくなる、身体が弱体化する等のマイナス面もありますが、プロフェッショナルな技術の追求が可能になるのではないでしょうか?

あん馬をロッキーのテーマで… ( No.7 )
日時:2006/06/09 00:10
名前:NASKA
皆様ホントお久しぶりです(^^ゞ

タイトルに書いた通り、あん馬をロッキーのテーマに合わせて演技した選手がいたというのを聞いた事があります。元体操経験者さんが見られたのはシドニー五輪ですね!けど、アトランタ五輪のガーラで演技したリ・ドンファ選手は、序盤は倒立腕立てや水平支持などの力技を構成してて、これもまた面白い演技だったのを覚えてます。ネモフ選手のゆかは、個性丸出しといった感じで、これもまた楽しいものでした。

話は戻りますが、プロ体操を行うには、みなさん書かれているように、球技のように五輪や世界選手権と同じ条件ではかなり難しいと思います。それこそ、プロレスやK−1のように、アマチュア競技とは全く異質の競技にならなければ、観客動員や長期化を計れない気もします。

ひとつ思い出した事が…
ビタリー・マリニチ選手はインディアナポリス世界選手権よりもプロ転向を取って引退した選手でした。
体操パフォーマーのために ( No.8 )
日時:2006/06/09 11:15
名前:じむきち  <gymkichi-ba@fine.ocn.ne.jp>
URL:http://www13.ocn.ne.jp/~gymkichi/
おっ、ちょっと盛り上がってきましたね!

>匿名希望さん
>この先にくる熱くなる場面、その時が器械体操をプロ化に持っていける時
・・・そうですよね。そのチャンスが切望されます。日本だけでいえばこの前の「アテネ五輪男子団体優勝」もひとつの大きな「熱い場面」だったと思うのですが・・・女子まで優勝しないと無理でしょうか(苦笑)

>実際は運と統括団体の存在、スポンサーなどがいなければ全く成り立たない
・・・まったくそのとおりだと思います。
ちょっと考えました。新しいスポーツビジネスのチャンスを増やすために、IOCなんかが「アマ規定の見直し」を行って「1年間に3日間だけアマチュアもスポーツ興行に参加してギャラを貰うことができる」なんてしてくれるといいのに(笑)。
そうすれば、その「黄金の3日間」を活用して、オリンピック直後のメダリストや競技団体、ショービジネスの興行主やスポンサーが集まり、試金石的な興行を企画・実現する可能性が出てくると思うのですが・・・その中から継続的な興行形態が生まれないとも限りません。

>ジョージアさん
>技術の老練さで競える環境にするのです
・・・実は私もフィギュア同様、難度だけではない選手の演技のよさを引き出してそれを楽しめればと思っていたところです。それには器具の改良や弾性化は妙案ですね!ただ、あん馬だけは長さを2倍にしてポメルを3個くらいつけた方が面白くなりそうなf(^^;)

アマチュアではシビアな順位争いを楽しみ、プロでは演技環境の改良を背景にしてエンターテイメント性や技の大きさ・新技開発などを楽しめたらいいですね。

そういえばNASKAさんがおっしゃったマリニチ、新技や変わったコンビネーションの好きな選手でしたね。得点や順位とは別の尺度を体操に求めていたのでしょう。彼がプロの道を選んだというのも納得できます。

体操パフォーマーとして活躍の場を求める選手は過去にもたくさんいたはずだし、これからもいるはずです。・・・そんな彼ら・彼女らのために、何かアイディアだけでも持ちよれないものかなぁ ・・・と考えています。
人々の心に残すもの ( No.9 )
日時:2006/06/11 02:16
名前:ジョージア
 匿名希望さんの「流れ」の記述に思うところがあり、書かせていただきます。
 今まさにTVの画面では、体操の父ヤーンの母国・ドイツでサッカーが大きな盛り上がりを見せています。過去に遡れば日本ではかつてサッカー会場では観客はガラガラだったという記憶があります。

 現在これだけサッカーが日本中の人々の共感を得る現実は、世界中の人々が貧しくてもボールくらいは蹴れたという底辺の広さが、結果共感する人々を繋げていった姿だと思います。人はやはり多くの人と共に響き合う性質は変えられないのだと思います。

 そこで体操において過去その「流れ」がなかったかといえば、あったという気がします。
 コマネチが五輪で優勝したあとの日本では、通常の会話の中で「コマネチ」の名が飛び交っていました。「少年マガジン」など、単独でルーマニアの彼女の自宅にまで取材をし、グラビアで数ページに渡り写真が掲載されたりしました。クラスの友人の間で、その他多くの一般誌の彼女の切り抜き写真を見せ合ったものです。
 その年の中日カップで彼女が来日した時は、ニュースではプロ野球が脇役になってしまうほどでした。

 3年後のW杯で来日したときなども、中継は民放のゴールデンタイムで行われ、競技以外でもワイドショーの中心でした。その過熱ぶりは、今のシャラポワやミシェル・ウィーの比ではありません。

 当時社会主義国だった国家が容易にコマネチを国外に出さなかった事情は後になって知ったことですが・・・。もし年に数回日本に来てくれていれば、どれだけ日本人に体操を身近なものとして受け入れてもらえたのか、非常に興味あるところです。
 
 以上のことは私がリアルタイムで感じた熱気であり、一過性であることは否めないものの、日本中が体操で沸いた日があったのは事実なのです。
 この事実がプロ体操成立への確証にはならないにしろ、人々の心に体操が身近に感じられる「流れ」は正にこの時が近かったと感じます。

 今後必ずこういった機会はあるでしょう。「体操は素晴らしいな」と人々の記憶へ残していくことの積み重ねが、プロ化への背景に不可欠であると思います。

 具体的なプロ化論でなくてすみません。あくまで参考に。
アメリカが体操のトップだったら・・・? ( No.10 )
日時:2006/06/10 23:53
名前:じむきち  <gymkichi-ba@fine.ocn.ne.jp>
URL:http://www13.ocn.ne.jp/~gymkichi/
コマネチ選手と加納弥生選手に萌え燃えでした(同世代)。

「日本中が体操で沸いた」といえば、それ以前も日本は体操競技に沸いていましたね。私が小学生の頃はどこの学校にも「体操部」があり、人気の高いスポーツだったと思います。やる人が多いということは見る人も多いわけで、多くの子供達や若者が「アクロバット的な能力に魅力を感じる」という証拠だったのでしょう。このこと自体は、昔も今も変わらない普遍的な事実だと思います。

でも、体操競技と同じように美しさやアクロバティックな動きをアピールするスケートにはプロがあるのに、体操にはない。
・・・もしかしたら、体操競技のトップに長らく君臨していたのがソビエト率いる社会主義諸国や、学校体育の発達していた日本だったということにも原因があるかもしれませんね。どこも「スポーツの商業化」には縁遠いですから。
・・・もしトップに君臨しつづけていたのがアメリカだったら、様々な問題を抱えながらも「プロ体操」が定着していたかもしれません。
総合スポーツイベントならば ( No.11 )
日時:2006/06/11 03:20
名前:ジョージア
>じむきちさん
>どこの学校にも「体操部」があり
私の通った田舎の中学や高校にも体操部はありました。中学の男子の方は私が入学する2年前に廃部となっていましたが。当時は確かに今より体操が学校体育に浸透していましたね。

 さて現実的な話ですが、今の日本で体操が興行として成立する可能性はは殆どないと考えます。非常に残念ながら。こういう記述は私自身、悔しい気持さえ覚えます。

 年に1度のビッグイベントとも言える全日本や中日カップにおいても、数千人のキャパの会場が満員にならないですよね。

 定期的に刊行される雑誌さえありません。唯一長期に渡り体操を取上げ続けたSEもフィギュアスケート等と併載の内容でありました。そのSEもフィギュアの特集をした時の方が売れたという状況は当時伝え聞きました。
 
 論拠となるリサーチをしていなくとも、体操のみではプロの選手を支える客の母数が不足していると思わざるを得ません。

 冒頭に書かれていた「シルク・ド・ソレイユ」のような総合的なスポーツイベントならば、各々の競技のファンがつめかけ、導入の形としては収支の面でも現実味があるのではないでしょうか。

 ある程度赤字でも無形の回収の価値ありという投資者または企業がが現れるまで、総合スポーツのような形でも人々の目に体操が触れる機会を増やすことが大事なことと思います。

 体操で興行は厳しいと書きながら、私は塚原選手、富田選手、鹿島選手やその他多くの内外の一流選手の妙技をビデオで鑑賞しながら一杯やるのが大好きなのです。
プロ化は無理では・・・? ( No.12 )
日時:2006/06/11 10:42
名前:匿名希望ですみません
興行化には不向きな理由を考えてみたんですが・・・・

演技一つ一つが短いこと。

種目が多すぎて鑑賞するのに知識が要りすぎること。
(やった事のある人か関りのある人でないとスゴさが解らない。)

エンターテイメント性や芸術性が低いこと。
唯一それあるのは音楽のある女子の床なのに、難度の高い技を入れる事の
方が大事だからって、ガバっと足の開いた抱え込み宙返りなどを見せられ
るのはちょっと・・・。

この3つが大きいのでは・・・と思います。


話題になって注目される事と、興行として成立する事はまた別の次元の話では
ないでしょうか?
パワータンブリングや女子新体操などは、素人目にもスゴさや美しさがわかるので、お金を払って見に行ってみたいとは思いますが、体操全部と言われるとちょっと・・・。

でも今の男子体操の鉄棒の芸術性は非常に高いと思います。
あと男子の吊り輪も、あの演技が素人目にいかにスゴいのかが見て解ります。

体操の知識がない知人や友人が見てスゴイねーと言うのはたいてい、
男子の鉄棒、吊り輪、床と、女子の床、平均台。

逆に遠い目をするのは、男子の平行棒や、あん馬。
短すぎてポカンとするのが跳馬。

いずれにしても、全てが鑑賞するには余りにも短い。

興行として成立するためには、一定時間、共通性のある一つの演目で魅せ続ける様式と、その演技演目のスゴさやすばらしさを観客が共有できる事が絶対的
条件ですから、体操競技がその形のまま「プロ体操」になるのは厳しいと思います。

でも観戦スポーツとしてなら、種目別の試合を増やしたり、あっちこっちで何人もの選手が同時に演技するという、あの初めて見に来てくれる人を憔悴させる形式をやめて、見せ方を変える事だけでも、もっと見に行ってみたいスゴいスポーツの中に入れる事は十分可能だと思います。
実際には時間的な制約もあるので、全ての試合をその形式にするのは無理でしょうが、この前の全日本選手権の決勝のような形で見られる試合がもっと増えたらいいのになぁ・・・と切に思います。
社会人チームがもっと増えれば ( No.13 )
日時:2006/06/11 12:35
名前:toto
コナミ、セントラル、徳洲会などの社会人チームがもっと増えると盛り上がる気がします。サッカーみたいに地域のクラブチームができていかないかなーと思います。

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