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東アジア大会・大阪初体験記

注:個人的な旅行記です(^^;

 東アジア大会。正式には「東アジア競技大会」といい、主催は東アジア競技大会連合(EAGA)。オリンピックと同じく4年ごとに行われ、第1回は1993年に上海で、第2回は1997年に釜山で開催されました。第3回の大阪大会には全部で10の地域と国が参加、15の正式競技と2つの公開競技が行われます(注:体操は正式競技で、オープン参加のオーストラリアを含め7つの国と地域が参加)。この東アジア大会は、お互いの競技レベルの向上をはかるとともに、オリンピックムーブメントの発展に貢献することを目的としています。(公式パンフレット参照)

 と、いうことを知っている日本国民の、いや、大阪市民の割合はどのくらいなのであろう・・・と、思ふ。それくらい、知名度が低いぞ東アジア大会。噂では多くのタダ券が配られていたらしいが、少なくとも体操会場の客の入りは、私の後ろの席のおばちゃんが「いやー、これじゃ大阪にオリンピックなんて来ないわぁー」と嘆くほどであった。ホントだよ。

 それはともかく。私は5/22日、23日の両日、大阪へ行って来ました。私にとっては初めての「大阪お泊まり」。ちなみに初めて大阪に行ったのは、1997年のなみはや国体・成年男女をみるため。新大阪−朝潮橋間をダッシュで往復し、地上に出たのは体育館の近辺のみ。次に大阪に足を踏み入れたのは、神戸から奈良に行く途中で大阪環状線を利用しただけ。というわけで、以下は3度目にして初めて大阪の街を見た!私の東アジア大会観戦記、です・・・。

 22日。心斎橋のホテルにチェックイン。どうせなら大阪の中心地に泊まりたい、というのがその動機だったのだが、大阪の人にとって心斎橋は決して中心地というわけではないらしい。私が知っている数少ない大阪の地名のひとつなのですが。それにしても若い子が多くて、渋谷のセンター街にきたかという感じですね>心斎橋。
 そう・・・そういえば、ここは県庁所在地(府庁所在地?)。これまでに体操観戦で遠征した数々の都道府県庁所在地(広島、熊本、富山、金沢、仙台)に負け続けてきた私の浦和市(私が勝手に比較してるだけですが)はさいたま市として新たなスタートをきりました。名前は変わっても内容は変わらず、大阪に完敗。もっとも、日本一ショボい県庁所在地として連勝中ともいえますが。

 地下鉄御堂筋線、中央線を乗り継いで朝潮橋へ。余談だが、今回最大のカルチャーショック(っていうほどのものか?)は、大阪ではエスカレーターの左側を空けるらしい・・・ということである。関東では右なんだよー。不思議だ。さて、東アジア大会期間中は、市内の各種乗り物(しかし、JRは入っていない様だ)に1日600円で乗り放題のフリーチケットが販売されている(市内で唯一「東アジア大会が開催されている」と実感した瞬間であった)。おトクなのでこれを購入。記念にもなるしね。どうせなら券面になにわっちでもプリントしてくれればいいのに。

 妙なかたちの大阪ドームを車窓から眺め、駅を降りるとそこは懐かしの朝潮橋。立派な体育館ですね。当日券は2000円。入口でチラシと「OSAKA」と書かれたうちわを配布される。場内はそれほど暑いわけでもないし、何に使うんだよーと思っていたのだが・・・後にこのうちわが、意外な事に役立てられているのを発見。
 それはさておき、男子個人総合は冨田選手が銀メダル目前だったものの、最後に落下。ちょっと危ないかなーと思ってたのですが・・・。それでも、今大会の日本チームの収穫は冨田選手の国際デビューでしょう。種目別でも活躍してくれたし!
 女子個人総合は、中国のワンツースリーフィニッシュ。真辺選手も出来は良かったので、残念。団体・個人総合と(予想通りとはいえ)中国国歌しか流れていない会場。出来れば、明日は違う曲も聴いてみたいものである・・・。

 女子個人総合が終わるのが20時、ということもあって時間はなかったのですが、会場でOEFCのおーりゃさんをとっ捕まえ、さらに遠方から呼びつけてしまった(詳しい事情は割愛。笑)たこすけ嬢という2人の大阪人にお付き合いいただき、夜の大阪市街へ。
 グリコの看板くいだおれ人形動くカニを見て、「おぉー、大阪だぁ!」と感動。東京に来たいわゆる「おのぼりさん」ってこんな気持ちなのかしらん(でも、何を見て?東京タワー・・・でもないだろうしなぁ。レインボーブリッジとか?ディズニーランド?←東京じゃない)。

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