試合形態の歴史

1970年代からの変化をざっくり年表で

1970 ここまで、団体の得点が個人の得点を兼ねる方式。
1971
1972 団体は兼・個人予選になり、個人総合と種目別決勝を別に行うようになる
団体規定・団体自由の合計の1/2が、個人戦の「持ち点」に。
個人総合は36人、種目別は6人が通過。
1973
1974 種目別決勝は「一か国から2人まで」という制限がつく。
1975
1976 個人総合は「一か国から3人まで」という制限がつく。
1977
1978 種目別出場者が6人から8人に増える。
1979
1980
1981 国際大会出場年齢が、14歳から15歳に引き上げられる。
1982
1983
1984
1985
1986
1987
1988 ソウル五輪を最後に、予選の1/2を持ち点とする制度が廃止
1989 一発勝負の決勝が始まる。
1990
1991
1992
1993
1994
1995
1996 アトランタ五輪を最後に、規定演技の廃止
1997 いずれも自由演技のみの6-5-4による、団体予選・決勝の開始
当初の予選通過数は、6チームだった。
国際大会の出場年齢が、15歳から現在の16歳に引き上げられる。
1998
1999
2000
2001 団体決勝が6-3-3に。決勝進出チームが6から8に増える。
新型跳馬が導入される。
2002
2003 個人総合の出場者数が36人から24人に減る。
これまで3人だった一か国からの出場上限は、種目別と同じく2人に。
2004
2005
2006 10点満点の廃止。現在の採点方式の始まり。
2007
2008
2009
2010
2011 「五輪前年の世界選手権は15歳でも出場可」というルールがなくなる。
2012 ロンドン五輪から団体の人数が5人に。5-3-3の団体戦。
2013
2014
2015
2016
2017
2018
2019
2020 東京五輪の団体は4人に。(しかし今後は5人に戻る予定?)