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荻原次晴さんの番組
日時:2006/09/09 17:48
名前:asou
URL:http://sc-smn.jst.go.jp/8/bangumi.asp?i_series_code=B033401&i_renban_code=008
既に紹介されているかもしれないんですが、ケーブルテレビで放送された
30分番組のHPを見かけましたので。
早稲田大学体操部の土屋先生が協力されたもので、新旧二通りのバク転や車輪の
違いについてなど詳しく解説してある番組です。
予告編でなく番組そのものがすべて動画で見れるのは驚きました。
http://sc-smn.jst.go.jp/8/bangumi.asp?i_series_code=B033401&i_renban_code=008

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ぶっぱなし(2) ( No.25 )
日時:2006/09/14 16:21
名前:元体操経験者
あの後世に残るビロゼルチェフ選手、完璧なのですが、唯一鉄棒の伸身ドッペルの時のみ、膝のゆるみが若干見られました。それ程、普通の車輪で初めから伸身で回る事は難しかったと思います。そして男子では加速車輪が一般的になり初めても、女子の段違い平行棒ではバー間の問題が解消されていなかったので「ぶっぱなし」による伸身ドッペルが主流でした。今でも加速を用いて表現出来る女子選手は少ないのでは?とも思いますが、確実に将来、女子も男子同等の加速車輪の時代となるでしょう。
男子とは体つきが違う女子で加速を行うには、それ相応の相当な筋力を要すると推測出来ますが、これをクリアして女子の常識となる日も、近いと思います。体操は日々発展するスポーツ。だから同じ技の捌きでも日々向上している。そういった体操の計り知れない魅力に取り憑かれた私やじむきちさん等のファンの一員であり、その上でどんな技術を使ったのか?研究したい自称「きちがい」がいる事をご理解ください。<じむきちさん、失礼(笑)
順手車輪の進化の経緯になっとく ( No.26 )
日時:2006/09/14 22:37
名前:ジョージア
 いやいや、「きちがい」なんて・・・。いまだに青白く光る炎ですよ。素晴らしい!

 さっそく始めます。じむきちさん、元体操経験者さんの記述を拝見し、日本選手の中国式あふりの導入が遅かった経緯に納得いきました。
 長年の疑問が氷解した思いです。

 美意識から導入へ踏み切れなかった状況の中、スワンドッペルで勝負出来た時代が重なったことが大きな要因だろう・・・。お二人の書かれた世界の技術動向は、私のつたない記憶にも合致しています。

 童非のさばきを初めて見た時は私も大方の日本の関係者と同様、あんなに腰を曲げていいの?と感じたのは事実です。
 しかし彼の行う新月面が、それまで見たこともない程の高さを示し、2回のひねりの終了が鉄棒位であることが、その技術の確かさを証明していると自分は思いました。
(先述のお二人が書かれた伸身ドッペルの高さを示すのに適した技術というのが正しいところです)

 その後3年程の間に彼の鉄棒は、世界選手権で10点満点を与えられる等最高の評価を得ることになります。

 その後日本が世界に遅れを取った後もなお、種目別の全日本のチャンピオンでさえ、高さの示せないすっぽ抜けたような終末技を行っていました。それを見る都度、なぜあふり技術を停滞させているのかと疑問が募るばかりでした。
 
 それがやっと国内で見られたのは、バルセロナの翌年の西川選手によってであると記憶しています。

 しかし中国式あふり導入までの経緯は、じむきちさん、元体操経験者さんによってやっと自分の中で整理がつきました。ありがとうございます。

 じむきちさん、研究部報には、1991年の66号に「鉄棒における順手車輪の理想像に対する提言」で遠藤幸一さんが考察を述べられていますよ。
中国式あふりの普及(3) ( No.27 )
日時:2006/09/14 22:35
名前:NASKA
ご指名を頂いた(?)ので、かってに番号振っちゃいました(^^ゞ
とはいっても、補足程度です。最初に見た時の印象については、みなさんと同感なので省略します。

中国以外で最初に取り入れたのは、恐らく、東ドイツのホルガー・ベーレント選手(87年)だろうと思います。この頃はまだ中国でも数人しか実施していなくて、李寧、許志強選手はやっていませんでした。楼雲選手はやっていましたが、ロス五輪では前方ダブルハーフだったので、いつ頃からかは解りません。87年はじむきちさんの空白期間中なので、記憶にないのは当然でしょうね(^^)
ベレンキ選手はバルセロナ五輪から使用してますが、91年インディアナポリス世界選手権では、ドイツのビュフナー選手も使用していました。中国はほとんどがこの捌きでしたが、まだ普及というまでには至ってなかったという印象です。

日本の選手で最初に取り入れたのは、恐らく、西川大輔選手(93年)だと思います。92年までは従来通りでしたが、オフシーズン中に伸身月面ごと大改造した感じでした。中国式あふりだけでなく、伸身月面のひねりの時期など、捌き方が完全に変わっていました。もしかしたら伸身新月面を目標にしていたのかも知れません。93年には、コロブチンスキー選手も3宙を止めて、中国式あふりから伸身新月面に変えてました。この頃から普及し始めたのかも知れませんね。

アトランタ五輪を過ぎた頃には、中国式あふりはほとんどの選手が実施していましたが、そんな中、韓国のイ・ジュヒョン、スペインのヘスス・カルバロ選手は従来のぶっぱなしから伸身新月面を実施してたので、返って新鮮に見えたのを覚えてます。

普及が遅れた理由について、じむきちさんや元体操経験者さんの考えの方が納得出来る事に気付きました(^^;因みに私は、
1.89〜92年の規定の下り技(かかえ込みダブル)の前に、大きく腰を取りすぎると減点される傾向があった。
2.89・91年と鉄棒連覇を果たした李春陽選手は、中国式あふりを使用せずに浮きのある素晴らしい伸身月面を実施していた。
と思っていました。2は全然信憑性がありませんが、1は結構深刻だと思います。あくまでも私の推測に過ぎなかったのですが、お2人の考えの方が合理的っぽいですね(^^;
ぶっぱなし(3) ( No.28 )
日時:2006/09/14 22:36
名前:NASKA
同じく、元体操経験者さんの後に番号を振ってしまいました(^^ゞ

先ず、ビロゼルチェフ選手は神戸ユニバでもかかえ込みの月面下りでしたので、鉄棒の下り技は珍しく苦手だったのかも知れません。確かに、あの伸身ダブルはビロゼルチェフ選手らしくなくて気になりました。つり輪でも膝割れがあったので、伸身系自体が苦手だったのかも知れませんね。

伸身ダブルについて、昔、学校の図書館にあった体操教本に書かれていた内容を覚えています。ローシキン(確かこんな名前だったと思う…)とイガラシと2つのタイプが図で比較されてました。ローシキンの方は元体操経験者さんが書かれてる通り、不十分な屈身姿勢に見えてしまう事が懸念されていて、逆にイガラシのタイプは伸身姿勢をアピール出来るというような事が書かれてました。「いずれは全経過伸身姿勢で実施する選手が現れるだろう」という事も書かれていたので、モントリオール五輪前後に書かれたものでしょうね。
アルティモフ選手の捌きは、何となく具志堅幸司さんの捌きと似ているように思いましたが、実際いかがでしょう?私は具志堅さんの演技を収録したビデオが残ってなく、捌き方については曖昧な記憶でしかないので…具志堅さんの伸身ダブルは全経過伸身姿勢で美しかったのは覚えています。
D難度新設当初、伸身ダブルはD難度に設定されていた事もあって、80年代後半はほとんどの選手が伸身ダブルでしたが、日本では内規に『D難度として認定はするけど加点はしない』というものがあり、ひねりに向いていないと判断されたぶっぱなしは、既に限界だったのかも知れませんね。

渡辺光昭さんを初め、ぶっぱなしから伸身新月面を成功させた選手は、今思えば、計り知れない練習や努力を積んできたという事が改めて感じられます。更に89年、当時日大3年だった石井茂樹選手は、ぶっぱなしから伸身2回宙3回ひねりを成功させているので、フェドルチェンコ選手のように中国式あふりを使用していたら…と考えても、もはや想像出来ません(^^;しかも、今のようにセーフティマットの使用が認められていなかった時代なだけに、不安やプレッシャーは相当なものだったと思います。
失礼… ( No.29 )
日時:2006/09/14 22:38
名前:NASKA
ジョージアさんとかぶってしまいましたね(^^;
無問題ですよ ( No.30 )
日時:2006/09/14 22:49
名前:ジョージア
 いーえ。それよりNASKAさん、これはかなり技術変遷が整理されてると思いますよ。
 切り抜いてしまっておこうっというくらいですね。
似ています(笑) ( No.31 )
日時:2006/09/14 23:33
名前:元体操経験者
>アルティモフ選手の捌きは、何となく具志堅幸司さんの捌きと似ているように思いましたが、実際いかがでしょう?
具志堅先生の引退直前のビデオがありますが、全くもっておっしゃるとおり、完全伸身ですね!
それと、体操に接する「美しさの要求」このあたりも、全く同じ!
このお二人は、体操に接する姿勢自体から同じと思える程、素晴らしく美しい演技を常にされていましたね!ロス個人:具志堅先生、ソウル個人:アルティモフ選手と、連続する2つのオリンピックの個人総合を制したのは「美しさ」
何か?心に感ずる所がありますね(笑)
訂正 ( No.33 )
日時:2006/09/15 08:01
名前:
更に89年、当時日大3年だった石井茂樹選手は、ぶっぱなしから伸身2回宙3回ひねりを成功させているので、      

訂正 石井宏樹選手です 偉大な先輩なんで訂正しておきます。
女子の場合は ( No.34 )
日時:2006/09/17 00:06
名前:睡蓮
女子の段違い平行棒の場合は、ホルキナ選手がバーのしなりを利用して、
腰を大きく曲げた加速車輪をおこなってましたよね?

私は加速をしてるというよりは、飛び出す角度を固定するのを目的として、
抜きの動作を強調するため(低棒の上に抜くため)に、車輪の倒立姿勢は腰を曲げざるをえなかった、のではと解釈していました。

ホルキナ選手は身長がたかすぎたため、必要に迫られて開発した技術でしょうけれど、普通の身長の選手には、飛び出す角度を安定させ、加速も得られるのでとても有効な技術だと思うんだけどなあ・・・
おっしゃる通りですね! ( No.35 )
日時:2006/09/17 13:33
名前:元体操経験者
>飛び出す角度を固定するのを目的として、抜きの動作を強調するため(低棒の上に抜くため)に、車輪の倒立姿勢は腰を曲げざるをえなかった、のではと解釈していました。

睡蓮さんのこの着眼点、まさにその通りで、素晴らしいと思いますね!
それと合わせて伸身が主流に変化しようとしている時代。
男子の伸身トカチェフも、この中国式によって一気に普及しましたし、女子にもこの技術が定着して、筋力強化を行えば、伸身トカチェフが到来する日も近いかも知れませんね!

以前の車輪はあふりを意図的に遅らせる事により、バーに近づけて3宙等を行っていましたが、この技術では回転はもらえますが、着地をつかむ事が非常に難しくなりますね!バーに接触する危険もありますし。

1992年のヨーロッパJrのビデオがありますが、ここで女子選手で何と3宙に挑んでいます。車輪の技術は普通で、意図的にバーに接触ギリギリまであふりを抑えて、男子の3宙が現れた初期の技術:1回目は大きく回して2〜3回で加速する捌きですが、やはり、あまりにも回転力をもらいすぎて、着地で残念ながら尻餅をついてしまっています。

この中国式で男子並みのあふりが実現すれば、女子の3宙下りも見れる日が来るのか?も知れません。今後の女子段違いの技術改革には着目だと思います(笑)

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