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荻原次晴さんの番組
日時:2006/09/09 17:48
名前:asou
URL:http://sc-smn.jst.go.jp/8/bangumi.asp?i_series_code=B033401&i_renban_code=008
既に紹介されているかもしれないんですが、ケーブルテレビで放送された
30分番組のHPを見かけましたので。
早稲田大学体操部の土屋先生が協力されたもので、新旧二通りのバク転や車輪の
違いについてなど詳しく解説してある番組です。
予告編でなく番組そのものがすべて動画で見れるのは驚きました。
http://sc-smn.jst.go.jp/8/bangumi.asp?i_series_code=B033401&i_renban_code=008

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見ました ( No.1 )
日時:2006/09/10 06:07
名前:元体操経験者
合理的、なる程と、あらためて感心させられました。
全て基本技の延長に高難度技があると言うのは土屋先生の言われるとおりで、体操をこれから勉強される方には、お勧めの番組だと思います。
あの童非のやった車輪、導入初期は「車輪であんなに腰を取る事は減点!」と日本でも賛否両論でしたね!それが、宙返りの効率性を産んでいる事が解って今では誰しもがやっていますが、昔あれを導入した童非選手は賛否両論の中、大変じゃなかったかな?とも思います。
時代を変える事(今までの常識を覆す事)は相当なプレッシャーもあったのでは?とあらためて思いました。
私も拝見しました ( No.2 )
日時:2006/09/10 19:54
名前:M(p^^)p
うん(o^・^o)良い番組ですね。
動きの合理性というのは、体操だけの話ではありませんから、他のスポーツ選手にも見て欲しい番組ですね。

ただ、合理的に自分の体を動かせるようになるまでには、気が遠くなるほどの基礎練習が必要だということは誤解のないように( ̄ー ̄)b
私も観ましたよ ( No.3 )
日時:2006/09/10 21:17
名前:ジョージア
 このプログラムを観て思い出すことがあります。遡ること25年、自分が行っていた後転とびは正に旧式でありました。

 ロンダートからの後方宙は、自分の身長以上の高さを示せるが、後転とびをはさむと極端に宙返りの高さが落ちてしまうというのが私の悩みでした。解決策を求め、教本などを読みあさりました。
 
 自分なりの結論は、原因は後転とびの際の、瞬間的に腕を曲げ押し返す力が不足しているためだということでした。練習前に柔道部にしか設置されていないバーベルを借り、ひたすら腕力を鍛えていました。
 その結果、ある程度は宙返りの高さは上がりましたが、最後までロンダートからの宙返りの方が高いことは変わることはありませんでした。

 しかし体操を止めて十数年後、あるドキュメンタリー番組で、塚原直也選手のコーチであったアンドリアノフ・コーチの指導法を知り、自分の行っていたことは合理的ではなかったのだと思い当たり、愕然としました。高さを示す宙返りのエナジーを作る秘訣は「腕を曲げない後転とび」だと・・・。奥の深さを思い知らされたのを思い出します。

 鉄棒で行った童非(当時17歳)の終末技直前の腰のタメをつくったあふりは、私自身78年中日杯で初めて観ましたが、この技術は革新的だと思いました。
 しかしその後何年たってもその技術を日本選手が注目している様子がなかったのはなぜだったのかと、今でも当時の歯がゆさともあいまって不思議に思います。

 ジュニア期に身につけた技術は、簡単には変えられないということなんでしょうかね?
森末さんの車輪は一回り大きかったですね ( No.4 )
日時:2006/09/11 07:22
名前:asou
URL:http://sc-smn.jst.go.jp/8/bangumi.asp?i_series_code=B033401&i_renban_code=008
最初に発表したのは童非選手だったんですか・・ありがとうございます
78年というとモントリオール五輪からたった二年
中国が五輪や世界選手権に復帰する直前なのにすでに・・中国恐るべし

アテネ五輪直後のバラエティー番組で、CMの大車輪おじさんこと野末さんと、
米田・中野・水鳥の三選手&森末慎二さんで、大車輪で五輪マークを描く企画があったのを思い出しました。
アテネの三人に比べて、森末さんの描く円が一回り大きかったような気がしていました。「体格の差ではなさそうだし」と疑問だったのですが、ようやく理由がわかったような気がしました。前に体操競技経験者さんが仰ってた「未来創造堂」での車輪
の捌きも、もう一度よく見てみようと思います。

後転とびのまっすぐ手をつくのって素人目には、腕がポキッとなりそうで少し怖いです。最初に試した人は怖かったんじゃないかと思います。
中国式順手車輪 ( No.5 )
日時:2006/09/11 21:47
名前:ジョージア
 前述の鉄棒における中国選手の特徴的なあふり技術は、童非が最初との認識が一般的ですが、実は違うようです。私自身もしばらくは彼のオリジナル技術だと思っていました。

 この技術は「ガイ・リャン式順手車輪」という70年代初期に中国で開発された技術であるとのことです。童非が極端な形で実施したため、彼がこの技術の代表格となっているようです。

 野末さん、森末さん、米田、中野、水鳥選手の大車輪五輪マークですか。私もみたかったなあ・・・!
順手車輪 ( No.6 )
日時:2006/09/12 20:51
名前:たかこ@管理人
見ました!昔のプログラムがネットで見られるって、便利ですね〜。
情報ありがとうございます。

ところで、最初に元体操経験者さんも

>「車輪であんなに腰を取る事は減点!」と日本でも賛否両論

と書かれていますが、それは結局どうなったのでしょう。
勿論、減点されなかったので、他国も取り入れたのだとは思いますが。
確かに、否定的な見方をした人の気もわからなくはないような・・・(^^;
それもありますが ( No.7 )
日時:2006/09/13 07:55
名前:元体操経験者
>腰を取る事は減点
それは、当初は国内に限っての話だった様に記憶しています。
結局当時、まだ日本は世界のトップ(余韻も含めて)にあり、日本体操(日本式のやり方が理想と言う方程式?)が国内では強かったのでは?と推測しています。あくまで推測ですが。
あの当時、世界の体操界が日本の体操を学びに来ていた時代背景もあり、V10を成し遂げた日本の技術は世界に誇るものであったのも事実で、そういった時代背景から日本のやり方が一番と言う方程式?の様な雰囲気がありました。そういった時代背景から、ソ連がピット等を用いて日本を超える技の習得をしているのに気づかなかった?承知していても日本体操の技術は負ける筈無いと思っていた?と言うあたりから、後で日本は長い暗礁期に乗り上げる事になったのでは?とも思っています。
世界(国際大会)では各国の国際審判が審判するので、あの加速のための腰の折り曲げを有効と取っても、日本の審判は「いや減点!」という雰囲気だったのでしょうね!実際あの加速を試みようとする選手に、大学の監督は否定的でした。宙返りの前の信号取りに腰を若干取る事は、体操選手が皆やっていた事ですが、最後の車輪であそこまで形を変えて加速する捌きは、日本的なやり方(足先先行で真っ直ぐな車輪)を否定する?とのあたりから、国内では否定意見が主流だった様に記憶しています。
しかし、後に国際大会で中国選手は皆、あの捌きをし、実際あれだけ加速する事により宙返りの浮きが出る。それと時代が伸身ドッペルの時代に入り、抜きからの強烈なあふりで、身体を逆懸垂の様な形まで持っていき手を離す為には、やはり中国式が有効との背景もあったと思います。普通のサルトなら、あの捌きで無くとも行えますが、伸身に有効なあふりを得る為には、あのような中国式加速車輪が必要と技術解析の結果認められたので、結論的には現在の形に収まっていると解釈しています。何か?例えは悪いか?も知れませんが、Beta(日本)vsVHS(諸外国)のビデオ型式論争と同じ様で(古)日本が負けた雰囲気は残りますが(笑)
一番大きいのは、やはり伸身ドッペルの到来にあわせての、抜きからのあふりのスピードの関係で、だとは思います。
中国式あふりの普及(1) ( No.22 )
日時:2006/09/14 11:22
名前:じむきち
童非選手の車輪のあふりを見たとき、私は正直「げげ」っと思いました。また、当時指導してくださっていた先生も「あんなの姿勢欠点だよ」とおっしゃっていたと思います。
そのような見解は、(大学によっても多少ちがうと思いますが)当時の日本体操の「価値観」としては一般的だったかと思いますし、多くの人が「あんなに姿勢欠点を伴う動きは、今後改善されるべきだ」と信じていたのではないでしょうか。

これをして「当時の日本体操は見識が遅れていた」と批判したいのではなく、私や元体操経験者さんなどはむしろそのような価値観にどっぷり漬かっていた者のひとりとして、多少の後悔を込めて述懐したくなる時代ですねf(^^;)・・・この点「批判」ではなく「後悔」のつもりですので、誤解なきようにお願いします。

80年初頭(もっと早いのかも?)に世界に発表されたこの技術は、80年代後半(ソウルオリンピックの頃)に入っても、まだ世界にあまり広まっていなかったと記憶しています。というのも、男子体操界ではビロゼルチェフを筆頭にリューキンやアルチョーモフなど「世界最強のソビエト体操軍団」が活躍し、「中国式あふりなど使わなくとも体操競技は成り立つ」ということを体現できていたからでしょう。・・・当時のソビエト体操界とて、日本体操界と同じく「あんなの姿勢欠点だよ」と認識していたのだと(確信に近く)推測しています。

この頃の日本は、中国式あふりではなく独自のあふり技術(ぶっぱなしなどと呼ばれる、車輪速度をあげてあふってから早めに離手し、カラ回しして伸身ダブルをおこなう技術)を確立していました。池谷選手をはじめ多くの日本トップ選手がこの方法で伸身月面(1回ひねり)を成功させて、懸命に世界に遅れまいと努力していた頃です。
中国式あふりの普及(2) ( No.23 )
日時:2006/09/14 11:28
名前:じむきち
ソビエトが諸国に分裂した直後(バルセロナオリンピックの頃)も、中国式あふりを使わない天才シェルボが世界を獲っていましたから、中国式のあふりの普及はさらに遅れたのだと思います。しかしアゼルバイジャンのベレンキなどは、いち早く中国式あふりを使っていたような気がします。また、このあふりがトカチェフなどにも応用され始めたのもこの頃だったかもしれません。
しかし日本ではやはりまだ「日本式ぶっぱなし」が主流だったと思います。・・・世界的にはまだ「伸身月面(1回ひねり)でもなんとか勝てた時代」ですね。

アトランタオリンピックの時代までに状況はかなり変わりました。鉄棒の下り技は伸身月面から伸身新月面(2回ひねり)が必須となり、ロシアでもネモフをはじめほとんどの選手が下り技やトカチェフの前に中国式あふりを行うようにまで普及しています。
もちろん日本でも塚原選手がデビューしており、伸身トカチェフや下り技の前に中国式あふりを使用していましたし、実際多くの現場で中国式のあふりが一般的になりました。・・・やってみるとこの技術は、タイミングや飛び出しの方向付けがしやすく、初心者に教えても鉄棒にぶつかる事故が起こりづらいというメリットもありましたね。

これ以降は日本国内でも逆に「日本式ぶっぱなし」に対しては「宙返りの高さが出ない」ということで評価は下がり、審判側にもはっきりと「点数のうえで差をつける」(あふり技術に対してではなく宙返りの高さに対してですが)という指導がなされたと記憶しています。

あふり準備の際の屈身姿勢の美醜よりも、結果的な宙返りの高さに軍配があがるのになんと15年前後もかかったことになります。しかしこの結果がこのスレッドのトピックであった「技さばきの合理性」を重視した結果であることに、現在疑問を抱く人はいないでしょうね。

・・・記憶の糸をたどるとこんな感じで普及したと思いますが、記憶違いも多々あるでしょうから、その際はご指摘くださいね(特にジョージアさんやNASKAさんよろしくお願いしますf(^^;))

・・・また、ロサンゼルスの後、私はしばらく体操から遠ざかっていたので「中国式あふり」について研究部報がどのように扱っていたのか、FIGの技術委員会ではどのようにとらえていたかが判りません。・・・どなたか当時をご存知ないでしょうか?
ぶっぱなし(1) ( No.24 )
日時:2006/09/14 16:27
名前:元体操経験者
じむきちさんの、おっしゃる通り、まさにこの時代の価値観の変貌期に体操をやっていた者として、伸身ドッペルの出現当初、私を含めてほとんどの選手が逆懸垂の形では手を離しても、そこに至る車輪の押し〜抜き〜あふりが、かかえこみのものであった為、身体は伸身でも膝が曲がってしまったり、足を開脚させて回る。これが伸身ドッペルの出現当初の捌きでした。
しかし、その中から、減点を無くす為に、最初の1回転は屈身気味で2回目で伸身になる捌きが主流になり、そうこうしている間に、日本では早瀬先生、世界ではアルチョーモフ選手の捌きが完全に鉄棒を離した直後から伸身を得て、また姿勢欠点も無い、初めての捌きでした。
この頃、じむきちさんの言われる「ぶっぱなし」の技術も行われていましたが、やはり早瀬選手やアルチョーモフ選手の実施に比べて高さが出ない。
それと、この「ぶっぱなし」は伸身で回転する事を前提に行われている為、回転中に反りが強く入り「ひねり」を導入するには向いていない。
この頃になって、いわゆる「しらかばの技術」がラズモフスキー先生により日本に伝えられ、やはり「ぶっぱなし」では1回のひねりの融合が限界で、それ以上のひねりの融合には「しらかば」の真っ直ぐな空中における姿勢が必要と解って来たので、その為には中国式のあふり技術が有利である事。普通の日本やソ連での車輪から伸身ドッペルをやった早瀬先生やアルチョーモフ選手等の世界のトップにいた選手は余程の苦労があったと推測しています。

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