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『塚原家の金メダル』
日時:2005/04/28 21:41
名前:ズーク
本日の夕刊の広告で見たのですが、『塚原家の金メダル』という
塚原千恵子さんが書かれた本が新潮社から発刊になったようです。
「母の目から見た究極のインサイドストーリー」との事。もう既に
ご存知の方も沢山いらっしゃるのかと思いますが、ご紹介まで。

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時系列をお話しますと… ( No.7 )
日時:2005/05/08 07:47
名前:morioka
あやふやな記憶によりますと呉先生がasahiにいたのは1992年まで。確か93年の関東大会で密会した覚えがありますからその時はもうやめてました。正明がasahiにいたのは中3まででその時は呉先生に教わってました。その後sakaeに行ったので一時離れましたが高3で再会したということになります。そして93年4月からasahiにはsakae出身の森泉先生が着任で入れ替わり?になります。
目指せ北京と呉コーチのことなど ( No.8 )
日時:2005/05/08 12:40
名前:asou
>morioka様
実際の教え子だった方のお話で色々知りたかったことがわかり、
ありがたいです。特に森泉コーチのことなど、本に出てこないですし
(今や森泉コーチ一部では、大変な人気です)
森泉コーチは直也選手より六才年長ですが、大学卒業してすぐに朝日に入られた
わけですね。どういうきっかけで朝日に入られたのか、あるいは呉コーチの栄移籍
と関係あるのでは?本を読んでそんな印象を持つようになっていました。
小林正明選手(にわかファンなのでほとんど何もわからないのですが)は中三まで
朝日にいらして、その後栄高校ということは・・逃げ出したわけではないような気が
しますが・・(中学まではクラブ、高校ではそこの体操部、大阪のマックと清風の
ような関係でしょうか?)シドニー代表の斎藤良宏選手も呉コーチの教え子になる
のでしょうか、94年の全日本で鉄棒優勝されていますね。

>たかこ@管理人様
たしかに、代表選考会をかねているNHK杯は中日カップなどとはわけが違いましたね。
あと十年早ければ・・本当に惜しいです。2003年のNHK杯とかアナハイムとか後から
調べるととても見ごたえのある名勝負だったらしいですし。
もったいないことをしました。そうですね、気長に待つことにします。

こちらのサイトの歴代日本代表選手のリストや過去の国内大会の結果など大変参考に
なります。で、調べて気づいたのですが、塚原選手はアトランタ五輪以後、九年連続
で日本代表に入っていますが、この九年連続というのは他にいないのではないか?と
思うのですが、どうでしょうか?(五輪三度、世界選手権四度、アジア大会二度)
今年代表入りしていたら十年連続だったのに惜しいことです。
期間の長さということでは小野喬さんの52年ヘルシンキ五輪から64年東京五輪まで
12年間に四度の五輪と三度の世界選手権に七度連続で代表入り、ついで監物先生の
68年メキシコ五輪から79年フォートワース世界選手権までの11年間に三度の五輪と
世界選手権四度、七回連続代表入りということになるとおもうのですが。
あってるでしょうか?
朝日、栄などいろいろ ( No.9 )
日時:2005/05/08 22:11
名前:たかこ@管理人
森泉コーチ自身も、中学まで朝日で、高校から栄に行ったみたいです。
マックと清風を例に挙げられていますが、そういう関係だったのかは判りません。
栄は、全国から選手を集めていたのではないでしょうか。
現在は、朝日の選手コースの男子は東京の私立東洋高校に行っているみたいです。
こういう進学先も、時代とともに変遷?があるみたいで。
私は実際に体操をやっていたわけではないので、外部から見ただけですが。
違ったらすいませんm(_ _)m

小林正明選手ですが、私も、生で見た時には既に大学生でした。
ちなみに、最近はたくさん見られる鉄棒のコールマンですが、
小林選手は、国内では割と早くにやっていた選手の1人でした。
卒業後、朝日生命で選手をされてましたが、2003年の全社二部で引退されたみたいです。
その後朝日から独立して、自分で体操塾をされているそうです。
斎藤良宏選手も、そうですね。あと、同じコース(京都→栄)で西村圭一選手とか。
ちなみに私が体操観始めたのは、西村選手がジュニアで無敵って感じの頃でした。
徳洲会を経て、栄(の、中学生の指導かな?)に戻られているみたいですが・・・

塚原選手は確かに考えてみると、長く活躍をされてますね〜。
近年では、途切れずに代表になっているという意味では、西川大輔さん並ですね。
(五輪・世界選手権・アジア大会を対象とすると)
西川さんは、アトランタ五輪に行っていると9年連続だったのかな・・・
アトランタの代表落選は衝撃的だったそうです。当時を知る人によれば。
たぶんですが… ( No.10 )
日時:2005/05/09 17:36
名前:JUN
呉コーチは栄高校のコーチではなく、小中学生(サトエクラブ)のコーチだと思います。
Re: 『塚原家の金メダル』 ( No.11 )
日時:2005/05/09 23:37
名前:おじ^^
話はすっとんでいきますが・・・・ 塚原千恵子先生が会場でサインしてるのを見ました。 きさくなんだぁって感じでした。次(たぶんJr?)でサインねだろうかな?なぁんておもっちゃいました^^;
森泉コーチと栄高校など ( No.12 )
日時:2005/05/10 01:32
名前:asou
<たかこ@管理人様
森泉コーチも昔は朝日の生徒さんだったのですか?詳しい話ありがたいです。
直也選手が体操を始めるまでは男子がいなかったという話を聞いた記憶が
あるのですが、それは本格的な選手コースがなかったということでしょうか?
(呉コーチを迎えて八人で男子部を始めたと本にあったようなので)
森泉コーチは理知的というか今回の団体金メダルを導いた縁の下の力持ちという
印象を受けました。直也選手にとって兄のようなスタンスの方のようにも思いま
したが、中学まで朝日にいらしたということは兄弟に近い関係なのでしょうか?

>栄は、全国から選手を集めていたのではないでしょうか
かなり力をいれていい選手を集めているという印象でした。
水鳥選手(静岡)の下の弟さんとか、鉄棒の星選手(新潟出身)も栄でしたね。

>現在は、朝日の選手コースの男子は東京の私立東洋高校に行っているみたいです。
こういう進学先も、時代とともに変遷?があるみたいで
現在、明治大学の遠藤真希選手がたしかそうでしたね。(二度目のユニバ代表入り
期待していましたが、残念でした。こちらの代表争いも狭き門だと思いました)
体育館から少し遠いように思いましたが・・直也選手は明大中野→明治でしたが・・
Re: 『塚原家の金メダル』 ( No.13 )
日時:2005/05/10 23:23
名前:morioka
1990年当時の朝日生命には体操教室と体操クラブがありました。教室のほうはプレールームのようなところで週数回通う程度(器具はマット・跳び箱・鉄棒など)の練習でクラブ員は本体育館で競技のための練習をするというものでした。男子では専門男子と呼ばれる教室の延長コース(競技をする)的なもので呉先生がnaoyaを含む3名、教室の先生が4名を指導されてました。男子にクラブ員制度ができたのが92年位?でした。専門男子とクラブ員の違いは公式の場でのジャージが違うこと。(クラブ員はクリーム色のやつです。)全日本Jrでも朝日生命体操クラブとAGスクールのような分け方をしてたかと思います。女子の場合も専門女子→クラブ員となるケースもありますが実力により外部からいきなりクラブ員というケースもあったようです。
進学先については女子をみればわかりますが私の時代では三鷹三中→藤村女子など一定の学校に集中する傾向があります。理由としては都内の中・高ではどこも競技に必要な十分な環境が整えられておらず学校の体操部に所属しながら朝日生命に通うのがベストになります。その辺の融通が利かないと練習を続けていく上で都合が悪いわけです。試合にしろ合宿にしろ平日学校を休まなければならないときもあります。また学校の部活は学校でやらなければならないなど縛りがあっては朝日生命に通えません。そうした理由です。男子の場合、naoyaの明大中野はイレギュラーで、その前の人たちはそれぞれ思い思いのところへいってました。あとに続けられれば良かったのですがスポーツ推薦枠の廃止などいろいろあってその次のターゲットは保善高校ですか。その次が東洋高校かと。個人個人の学力の問題なども関係していると思います。文武両道とはなかなかうまくいかないですね。
体操選手と進学 ( No.14 )
日時:2005/05/12 12:17
名前:asou
>morioka様
以前の朝日生命の様子の話しなど大変ありがたいです。
体操選手の進学のことについては時々、私も考えたことがあります。
塚原選手のご両親はおそらく
「体操の修行をするのにお受験の問題をクリアしとかないと後が大変になる。
久我山の体育館を拠点にして訓練するなら、大学の付属で自宅から近く、体育界系でない方がいい」とお考えになったのだと思います。
いくつか付属の中学を受験して合格したのが明大中野だったとか。
現在の遠藤選手の場合、なぜ、東洋高校(久我山から近くないのに)なのか疑問だったのですが、推薦枠の関係だったのですね。
明治大学の体操部のHPを見ていて「体育推薦」とあって納得しました。(体操部の部長されているのが経営学部の教授の方なんですね)
たしかに「文武両道」は難しいですね。現在、塚原選手のような進路をとるケースはまだ少数派でたいていの場合、小学校、あるいは中学までマックのような体操クラブで練習していても、高校からはいわゆる伝統校というか強豪校(清風、洛南、関西、埼玉栄→日体大、順天堂、日大、筑波)ということがほとんどなのは体操で進学するのにそれが一番推薦枠とか確保しやすいということなのでしょう。その場合、高校→大学→社会人とそのたびに練習環境が変わってしまう、リセットし直さないといけない問題がありますし。
そういえば、以前、コナミスポーツが「一貫強化」に乗り出すと発表しましたが、選手の学校の問題をどうするつもりなのかも気になります。
ここの強化選手は練習環境を変えないためにあえて体育界系の伝統校でない所へ進学することになるのではないでしょうか?
体操で一貫強化は初めてとウェブ記事にありましたが、一貫強化の第一号は塚原選手ではないか?と思うのですが・・
文武両道ということでは、女子の北村彩子さんが該当しそうな気がします。
東京学芸大学に進んで、朝日を練習拠点にされていたと聞きました。
(国立ですよね?スポーツ推薦あるのでしょうか?センタ試験から受験されたならすごいことです)天津のメンバーからもれたのは惜しいことでした。
(シドニーの団体出場権とれてたかもしれないのに、五輪行けたかもしれないのに。
ゲントは派遣中止になってしまうし・・)



Re: ( No.15 )
日時:2005/05/12 21:40
名前:たかこ@管理人
>森泉コーチも昔は朝日の生徒さんだったのですか?
すみません、当時を知っているわけではないですが、
中学生の時「AGスクール」で全日本ジュニアに出られていたようなので。

なぜ塚原選手は明中なんだろ?と思っていましたが、
けっこうお受験していたんですね。この本読むまで知りませんでした(^^;
一貫強化の第一号・・・確かにそうかもしれません。
基本的に練習はクラブでしていて、高校は体操部のないところ、
(高体連の大会に出るため、体操部というかたちは作るのだと思いますが)
というパターンは全国でも多く見受けられますが、
男子大学生では、そういう例はなかったですもんねー。

練習環境を変えずに進学するという例は特に女子に多いですけど、
(上記の北村選手しかり・・・)
現行のルールでは、インカレが2部になってしまうのが寂しいかなぁー。
塚原選手も2部で出ていたことが多かったと思いますが、
あれ、団体はともかく個人総合は混ぜてやったら面白いのにと思います。
Re: 『塚原家の金メダル』 ( No.16 )
日時:2005/05/13 12:54
名前:asou
>たかこ@管理人様

>中学生の時「AGスクール」で全日本ジュニアに出られていたようなので。
確かに、85年の全日本ジュニアで23位に入っていて、このとき「AGスクール」
になっていますね。こちらの過去の国内大会の結果一覧はニワカファンには
ありがたいです。同じ年に西川さんが三位、池谷さんが十位、このお二人って
本当にすごかったのですね。高校生にまじって、中学生でですもの。
それにしても森泉コーチが池谷・西川コンビと同じ年とは

>現行のルールでは、インカレが2部になってしまうのが寂しいかなぁー。
塚原選手も2部で出ていたことが多かったと思いますが、
あれ、団体はともかく個人総合は混ぜてやったら面白いのにと思います。

98年に明治が一部昇格したときに、笠松・塚原の二世対決がインカレで見られた
ようですね。インカレは笠松選手が制したようですが・・
確かに、代表入りした選手やナショナル強化指定選手が二部というのは、寂しいと
いうか、個人は混ぜた方が名勝負が多くなっていいかもしれないですね。

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